佐助稲荷~源氏山公園へ

今年最後の「花を訪ねて鎌倉歩き」は名残の紅葉を訪ねて
佐助稲荷~源氏山公園~化粧坂~海臧寺と歩きました。

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住宅街の狭い道を入っていくと、佐助稲荷の鳥居が見えてきます。

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この佐助稲荷には次のような伝説があります。

源頼朝が伊豆の蛭ヶ小島に流されていた時、夢を見ました。

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一人の気高い老人が現われて、「あなたは清和天皇に始まる
源氏の直系の子孫なので、早く兵を挙げ、平氏を滅ぼして
天下を統一しなければならない。

その時期が来たことを知らせに来た。」というのです。


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頼朝が「あなたはどなたですか?」と訪ねると
「私は隠れ里の稲荷である」と言って消えてしまいました


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その教えに従って、頼朝は兵を挙げ鎌倉に幕府を開くことができました。

その後、家臣の畠山重忠に言いつけて探させたところ
隠れ里の西に小さな祠を見つけました。


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早速ここにお宮を建てて、お宮の名前を「佐助稲荷」とつけました。

頼朝が幼少の頃「佐殿」と呼ばれていたため
すけが助けられた稲荷であることから、この名がついたという説もあります。


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銭洗い弁財天の狛犬さん

足の爪が鋭いです・・・・

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今では源氏山公園の一部になっている葛原が丘公園

日野俊基の墓、と言われる宝篋印塔

日野俊基は鎌倉時代も終わりの頃、後醍醐天皇を助けて
幕府を倒そうとした公家の一人です。

計画がばれ捕えられ一度は許されたのですが
後に再びつかまり、葛原が丘の地で処刑されました。

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明治20年、日野俊基の霊を祀るため葛原丘神社が立てられました

秋をまたで 葛原丘に 消ゆる身の
    露のうらみや  世に残らん

という辞世の句を残して、この丘の露と消えました。



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源氏山公園の「頼朝像」

32歳ころの姿だそうですが・・・・・


この後は化粧坂を下って、海臧寺に向かいます

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この化粧坂(けわいざか)は鎌倉七切通しの一つで
今も昔の面影を残し、国の史跡になっています。         続く・・・・・





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[ 2015/12/21 21:13 ] 花を訪ねて鎌倉歩き | TB(-) | CM(-)