荏柄天神~法華堂跡~大蔵幕府跡

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荏柄天神鳥居の前のビャクシンが交差していますね。
左側の木が倒れ掛かっています。
すぐわきは民家なんですけどちょっと心配。

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江戸時代の社伝によると、長治元年(1104)8月25日に、晴天の空が突如暗くなり
雷雨とともに黒い束帯姿の天神画像が天下り、そのことを堀川天皇に奏して社を創建し
社殿にその画像を収め祀ったことに始まる。

頼朝が御所(幕府)を立てたとき、幕府鬼門の守護神として
改めて社殿を立てたと伝えられる。

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境内の絵筆塚には横山隆一ら漫画家154人の河童の絵で飾られています。

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それぞれ個性的な河童の絵、全部紹介できないのが残念です

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漫画家「清水昆」氏の河童筆塚

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石碑の裏の文字は作家「川端康成」が揮毫したものです。

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荏柄天神社の門扉にも天神様の梅花紋が。

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白幡神社
祭神は源頼朝。古くは頼朝を祀る法華堂があった場所と言われる。

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1247年の宝治合戦で、幕府の重臣だった三浦泰村の一族は北条時頼に敗れ
500人余りがここで自刃した、三浦一族終焉の地でもあります。

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現在の源頼朝の墓は安永8年(1779)、島津家25代の薩摩藩主
島津重豪(しげひで)が勝長寿院跡から石塔を移し立て替えたものである。
(ガイド協会レジュメより抜粋)

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この向かい側の山が勝長寿院のあったあたりだそうです。(頼朝の墓より)

こうして歴史をたどりながら歩いていると
人の人生なんて儚いものですね。

それだけに一日一日を大事に生きていきたいですね。

長々お付き合いありがとうございました。

文中、ガイド協会のレジュメや、鎌倹テキストなどを参考にさせていただきました。
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[ 2015/10/12 20:40 ] 鎌倉散策 | TB(-) | CM(-)