勝長寿院跡~杉本寺~永福寺(ようふくじ)跡

頼朝の足跡を追って

次に訪れたのは

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文覚上人屋敷跡の碑があります。

文覚上人という人は、遠藤盛遠という武士でしたが、渡辺(源)渡(わたなべのわたる)という人の妻
袈裟御前に懸想し、誤って殺してしまいます。
その後供養のために出家して僧侶になったといわれます。

源頼朝が伊豆に配流になっていた時に、同じく配流になっていた文覚上人が
頼朝に平家討伐の挙兵を勧め、それにより頼朝が
石橋山の戦いに臨んだといわれます。

大御堂橋の下を流れる、滑川(なめりがわ)のことを、古くはこの文覚にちなんで
座禅川といったそうです。

この先を少し行くと

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頼朝が父義朝の菩提を弔うために建立した「勝長寿院跡」の碑があります。
「大御堂」「南御堂」とも呼ばれ、後白河法皇から送られた
源義朝と家来の鎌田政清の遺骨をここに葬ったそうです。

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かつては大御堂ヶ谷全体が勝長寿院境内だったと思われますが
現在では、勝長寿院跡の碑と義朝と鎌田政清の墓、発掘された疎石などが残るのみです。

かつて栄華を誇ったであろう源氏の氏寺も、さびしいものですね。


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この後は杉本寺に立ち寄り

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ここから見える景色を撮ってみました。

そろそろ山も色づいてきていますね。


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鎌倉宮です

薪能の準備ができています。

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9日・10日と2日にわたって催されます。

丁度この日が初日だったようです。

トイレ休憩に寄っただけですので遠くから拝礼だけしてきました。

ここから瑞泉寺に向かう途中に「永福寺跡」の史跡があります。

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発掘調査もほぼ終わったようで、史跡公園としての整備もだいぶ進んでいます。

このお寺は源義経や藤原泰衡をはじめ、奥州合戦の戦没者の怨霊を
なだめるために建てられた鎮魂の寺です。

平泉中尊寺の二階大堂の素晴らしさに心打たれそれを模して建てられました。

二階の堂があったため「二階堂」と呼ばれ、この地域の呼び名になりました

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建物は疎石だけで、庭だけを再現するそうです。

池には水を入れる準備もできて、次に訪ねるときが楽しみです。

今昔をしのぶのは残された地名だけになってしまいましたね。

今回はかなり歴史の勉強になりました。

鎌倉の地名ってそのまま過去の歴史を表しているものが多いということがわかります。


あともう1回お付き合いくださいね。







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[ 2015/10/11 21:03 ] 鎌倉散策 | TB(-) | CM(-)